クミコオオシマの古い日記帳

クミコオオシマの旧ブログです。noteに移行しました。

扁桃炎になりやすい話の最終回

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扁桃腺を切除するかどうかでしばらく悶々としておりましたが、切らずに済みました。ご心配をおかけしました。

私の扁桃腺が腫れやすい原因は、どうやら上咽頭炎だったようです。見慣れない炎症ですよね。鼻の奥、喉の上あたりです。ここが年がら年中炎症を起こしていたらしく、すぐに感染して扁桃腺も腫れるのでは?とのことでした。

この上咽頭炎というのがなかなか厄介な炎症で、メカニズムはよく知らないんですが自律神経系の不調も引き起こしてしまうみたいです。私の場合は起立性の低血圧とか寝付きが悪いとか、風邪を引きやすいとか、そのへんが関連してるかも、と思います。

そしてこの上咽頭炎の治療法というのがなかなかの痛みを伴うもので、大変です。まだ終わってないのでもう少し頑張ります。薬品を染み込ませた脱脂綿(?)を喉の奥、上の方に突っ込んでグリグリ塗り込むんですよ。もうね、終わった後しばらく喋りたくもないくらい痛いです。処置後数日、血痰を吐きました。痛み止めも出して欲しいくらい痛いです。どうやら炎症が酷ければ酷いほど痛みも強いらしいです。

でも、だいぶ治療が進んだので少しずつ楽になってきました。出血量も減ってきたし、今のところ3ヶ月くらい扁桃炎になっていません。このまま完治まで頑張れますように…!

という訳で、手術は無し、もう少し治療を頑張る方針でゆっくり強くなっております。4月下旬はライブがないから集中して通院できるといいな。

以上、報告まで。もりもり元気になりますよ。

花粉症がつらい

冬が終わった。冬が終わってしまった。私は日々鼻水を垂らしてはかみ、垂らしてはかみ、空気中に植物の生殖細胞が漂わなくなるその日を待つばかりだ。布団もシーツも干せやしない。夜中何度も起きて寝ぼけ眼で鼻をかむ様子はさながらトイレに起きる老人のようだ。

これでも薬は効いているのだ。薬を飲まない時の地獄のような有様を私はよく知っている。あれはこの世の終わりだ。閉まらない古い蛇口から水が漏れ出るがごとく鼻水が垂れ、頭蓋骨の内側に濃い霧が立ち込め、眼球が狂ったように存在を主張し始める、あれはこの世の終わりだ。薬が効いているだけまだマシなのだ。

しかしつらくない訳があるまい。例えば女は身だしなみとして否が応でも化粧をしなければならない時がある。朝、化粧水を塗り日焼け止めを塗りファンデーションを塗り、まぶたに茶色の粉をのせて睫毛に黒い液体を付ける。一息ついたところでくしゃみが6回ほど連続で出る。鼻をかむ為に使うティッシュは平均2枚。鼻の周りを拭く。はあ、やっとムズムズが落ち着いた、しかし今塗ったばかりの化粧水と日焼け止めとファンデーションが鼻の周りだけ全部落ちているではないか!どうせマスクで隠れるのだと言い聞かせ家を後にする。電車に乗る。くしゃみが4回ほど連続で出る。ここで鼻をかんでは他の乗客が不快に思うのではないだろうか。容赦なく垂れ始める鼻水。マスクの中で暫し葛藤する。一度降りてから鼻をかむのがマナーなのか?しかしこれは特急列車、次の停車駅まで約7分。耐えられるはずもない。そうこうしているうちに再びくしゃみが出る。鼻をかみます、どうか乗客の皆さん許してください。

こういう毎日です。

 

 

--後日追記--

翌2019年の花粉症がつらい記事

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忘れてはいけない街を去る

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初めてのCDができました。嬉しい。とても嬉しい。本当にめちゃくちゃお待たせしました。2曲入っています。可愛がってやってください。

RECとアレンジは葛西ゆうきさんです。私の言葉をひとつずつ拾って進めてくださいました。私の引き出しにはない音もたくさん入っています。自分の歌にギター以外の音が入っているのを聞いた経験がほとんどないので、最初にデモが上がってきたときに一人で声を出して喜んだのは内緒。

ジャケットや歌詞ページなどのイラストは漫画家の皆本形介先生にお願いしました。冷たい感じをバチっと表現してくださいました。絵本を見るように、フォトブックを見るように、眺めてほしいです。

お二方、改めて、本当にありがとうございました。

タイトルの「忘れてはいけない街を去る」には出発の意味を込めています。これまでの色々なことは捨てられないけれど、それでも一歩踏み出したい、今の私の願いそのまんまです。収録曲は「潜水」と「きれいごと」の二曲を選びました。どちらもライブでよく歌っています。曲調というか、歌の色は真反対に近いのですが、割と近い時期に作ったような気がします。どちらも同じ精神状態で作ったと思うんですよね。姉妹みたいな感じです。

こうして出来上がると一瞬だけ、慣れない仕事がひとつ終わったような気分になりましたが、これからなんだなと思います。ひとつひとつ大切にしていきたいです。作ってみて、音楽をもっと好きになりました。これからもクミコオオシマをどうぞよろしくお願いします。

アンハッピー

人のあたたかい部分に触れるとちょっとびっくりしてしまう。えっ!そんなあたたかくしちゃって良いんですか、しかもこんな私みたいな者に。という感じ。感謝とか、嬉しさとか、そういう暖色系の感情が出てくる前にただただキョトンとしてしまう。慣れていないのだ。いや、慣れていないと言うとあたかも今まで人に優しくされずに過ごしてきた風になってしまうか。私に優しさをくれる人は沢山いる。いるんだけど、だ。どうしていいかわからない。咄嗟に上っ面の「ありがとう」を口から出して、まだきちんと感謝しきれていないのにお礼だけ言ってしまった…と、後悔と反省と戸惑いをごっちゃ混ぜにした様な気持ちになる。

とにかく未だ信じられないのだ。自分に対して暖かい人が沢山居るということが。2年くらい前、その暖かさ優しさをバチーンとはねのけていた頃に比べればまだ良いのかもしれないが、それでも未だ信じられないのだ。

いい加減信じたい。自己肯定感が皆無であるというのは苦しいことだ。しかしそれ以上に苦しいのは、そのせいで人の優しさを信じられないことだ。どんなに好きな友人でも、どんなに尊敬する人でも、その一点、私を大事に思ってくれているというその一点だけは信じられない。

本当にこれは失礼な話でもある。何度も何度も「クミコオオシマが大切です」とメッセージを発してくれているのに、私はいつまで経っても「クミコオオシマには優しくするような価値はありません」と言い続ける。つまり「信頼してません」とキッパリ言ってしまっているようなものなのだ。相手もアンハッピー、私もアンハッピー、良いことなんてない。いい加減これをやめたい。悔しいやら申し訳ないやら情けないやらでおかしくなりそうだ。なってるか。

もうちょっと、もうちょっとだけ待っていて欲しい。今に見てろ、私は自分のこともみんなのことも愛してみせるんだから。

ついでに書いておくけど、物理的に人に触れてもちょっとびっくりしてしまう。あんまりにも皮膚の温度に差があって、自分の冷え性がよくわかるから。

扁桃炎になりやすい話の続き

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タイトルの通り、扁桃炎にしょっちゅうやられる。理不尽なくらい頻繁にやられる。ちょっと疲れるとすぐ高熱で寝込む。職場で私は病弱代表だ。友達の間でも音楽仲間の間でもたぶん、私は病弱の地位をしっかり築いてしまっていると思う。

まあその、実のところ(みんな知っていると思うんだが)、私の身体は喉だけでなく色々な部分が悪い。自分なりに体調と向き合って試行錯誤してみるもそう簡単には変わらず、寝込んでは謝り、寝込んでは謝りを繰り返す。すり減ってしまって誰かに聞いて欲しくなる。ネット上でも口頭でもクヨクヨ弱音を吐く。苦情が来る。

それをこの春、治すことにした。短期間で受けられる治療は全部受けてみることにした。先月から何度も病院で相談したり検査を受けているうちに少し希望が見えてきたから。上段に書いた通りヒトは(人も)そう簡単に変わらない、変わらないから、2年後くらいに結果が出たらいいなと思う。多くの人に恩をもらっているのに、こんな病弱では返せない。いつもしてもらってばかりで情けない。悔しい。こういう気持ちを抱えたままでは、これ以上前に進めない。と思った。せっかくCDも作ったし、私はここで歩みを止めたくない。

醜い嫉妬も汚い欲も捨てきって、本当に心からの音楽を作りたい。心の底から歌いたい。

 

--後日追記--
最終回に続きます。

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扁桃炎になりやすい話

2018年、さっそく一発目の扁桃炎にやられてしまった。今年も此奴と付き合って暮らしていかねばならない。

ここ数年、3〜4ヶ月に一度くらいのペースで高熱を伴う風邪で寝込んでいる…と思っていたら、実は全部、風邪というより細菌性の扁桃炎もしくは咽頭炎だったのだ。それで身体は仕方なく38〜39℃の熱を出してでも頑張らねばならなかったのだ。

どうやら年に3〜4回の発症があれば扁桃腺切除手術の対象になるらしい。季節が変わる度に高熱と喉の痛みで寝込むくらいならいっそのこと切ってしまうか。「自分は弱い」という呪いに縛られたまま居るのはいささかしんどいし、しょっちゅう寝込まれては職場にも迷惑である。なんてことを一昨日から考えている。

 

最近行き始めた内科の医師がかなりハキハキシャッキリした人で、その人が私の喉周りについて教えてくれた。年内に手術だろう。たぶん。まだ1月なのにもう年内に〜とか言い出している。大人になってしまったものだ。

ひとまず自分を縛る呪い「カラダヨワイヨワイ」の解き方のヒントがひとつ見えたのでオッケー。この風邪、ひき損にしない。

 

--後日追記--
この話の続きです↓

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成人式のニュースを聞いて思うこと

これから書くことは、私自身の経験だけに基づいた、個人的な気持ちであることを承知の上で読み進めてもらえたら…と思う。

成人式の日に着物業者が行方をくらませてしまい、式に出席できなかった新成人が多数いるというニュース。だんだんと情報も出てきて、人々が残念な気持ちと怒りをネット上で言葉にしていた。私も大勢の人と同じように、残念な気持ちと業者に対する怒りを抱いていた。

数日経ってから、2年前の自分が新成人だった時の事を思い出した。着物のトラブルではなかったが、理不尽で、当時の自分にはどうしようもない、訳の分からない理由で成人式に出席できなかった。当時の私は怒り狂い、悲しみに沈み、半年くらいは暗い気持ちを引きずったのではないかと思う。あれから2年経った今、成人式の悲しみは少しずつ薄れ、なんでもなく暮らしている。

そのなんでもない暮らしの中で、多くの素敵な人に会った。私の周りの素敵な人は皆少し変わっている。大多数の人間は通らないであろう道を、選んだのか選ばされたのか最後まで通り抜け、道を逸れてから数年〜十数年間後に大きな通りに合流した人たち。人と違う道を辿ってきたからこそ滲む不思議な空気をまとう人たち。その人だけのものを持っているから、変わっていると思うし、とても素敵だと思う。

成人式の日に自分だけ取り残され、会いたい人に会いに行けなかったあの悲しみと怒りを通った人間はおそらく少数派。その経験には希少価値がある。そう思い始めて、私は「自分だけできなかった」という事実を受け入れられた。糧に、知恵にしようと思った。こういう「自分だけ〜」と一つずつ正面から向き合えば、私だけのものを持てる。素敵な人たちの様になれるかもしれない。

だから、この度の出来事で悲しい想いをした新成人は、数年後に少し変わった素敵な人になっているかもしれない。時間の経たない間は悲しいだろう。けれども、その悲しみや怒りを食べてしまえ、自分の力にしてしまえ、と、私は思う。長い目で見れば、ラッキーとは言えないが価値のある道を通ったと思えるかもしれない。通った人間だけが掴めるものがきっとある。

以上、自分に言い聞かせる意味を半分くらい込めて。