クミコオオシマの古い日記帳

クミコオオシマの旧ブログです。noteに移行しました。

成人式のニュースを聞いて思うこと

これから書くことは、私自身の経験だけに基づいた、個人的な気持ちであることを承知の上で読み進めてもらえたら…と思う。

成人式の日に着物業者が行方をくらませてしまい、式に出席できなかった新成人が多数いるというニュース。だんだんと情報も出てきて、人々が残念な気持ちと怒りをネット上で言葉にしていた。私も大勢の人と同じように、残念な気持ちと業者に対する怒りを抱いていた。

数日経ってから、2年前の自分が新成人だった時の事を思い出した。着物のトラブルではなかったが、理不尽で、当時の自分にはどうしようもない、訳の分からない理由で成人式に出席できなかった。当時の私は怒り狂い、悲しみに沈み、半年くらいは暗い気持ちを引きずったのではないかと思う。あれから2年経った今、成人式の悲しみは少しずつ薄れ、なんでもなく暮らしている。

そのなんでもない暮らしの中で、多くの素敵な人に会った。私の周りの素敵な人は皆少し変わっている。大多数の人間は通らないであろう道を、選んだのか選ばされたのか最後まで通り抜け、道を逸れてから数年〜十数年間後に大きな通りに合流した人たち。人と違う道を辿ってきたからこそ滲む不思議な空気をまとう人たち。その人だけのものを持っているから、変わっていると思うし、とても素敵だと思う。

成人式の日に自分だけ取り残され、会いたい人に会いに行けなかったあの悲しみと怒りを通った人間はおそらく少数派。その経験には希少価値がある。そう思い始めて、私は「自分だけできなかった」という事実を受け入れられた。糧に、知恵にしようと思った。こういう「自分だけ〜」と一つずつ正面から向き合えば、私だけのものを持てる。素敵な人たちの様になれるかもしれない。

だから、この度の出来事で悲しい想いをした新成人は、数年後に少し変わった素敵な人になっているかもしれない。時間の経たない間は悲しいだろう。けれども、その悲しみや怒りを食べてしまえ、自分の力にしてしまえ、と、私は思う。長い目で見れば、ラッキーとは言えないが価値のある道を通ったと思えるかもしれない。通った人間だけが掴めるものがきっとある。

以上、自分に言い聞かせる意味を半分くらい込めて。